キリマンジャロのアホ


序章:日常に不足したもの

本編:キリマンジャロのアホ
後記:登頂したい人たちに    

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2000.09.21
下山の中の思考

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熱帯サバンナから極地までを一気に体験した我々の得たものは何であったのだろうか?
かつて、赤道直下の地に氷河を連想する者は皆無だったに違いない。
ドイツ人登山家によって発見されたのは、わずか100年前の事である。
この山が世界に知れ渡るようになるには、ヘミングウェイの執筆を待たなければいけなかった。
国際空港を持つケニアは、独自に航空会社を設立、キリマンジャロを目玉に観光客を集めた。
しかし、この山のあるタンザニアにとっては観光収入に結びつかない時代が流れた。
当時、イギリスの統治下にあった両国は、独立後、協定を結ぶが、経済体制の違いから破錠。1977年には国境が閉鎖された。
1983年の国境再開で観光客が激増。
現在、キリマンジャロは観光客が捨てるゴミによる環境問題が浮上している。
登山客が増えることによりガイドやポーターも収入を得るわけではあるが、凍てつく希薄な空気の場所に好んで向かう心理を地元の人々は奇妙に感じていることだろう。