2007年06月20日
2007年06月21日
2007年06月22日
2007年06月23日-1

2007年06月23日-2


【2007年06月21日】

・古座間味の朝

昨日よりは風が弱いようだ。 だが、帆走は可能だ。
今日は、 那覇から「海想」チームのサバニに乗って、選手2名がやってくる。伊東画伯とリリーだ。
「仕上がったニヌハを一刻も早くクルーに見せたい」そんな思いから、私と南極大城は朝からそわそわしていた。
「風を掴めば、2人でも黒島まで行けるのではないだろうか?」 「エイクのひと漕ぎで、前に進む量が変ったニヌハ2を見たら驚くだろうなぁ」
何よりも嬉しいのは、やっと漕ぐ練習をする為の「選手の人数が揃う」事だ。
そこで、南極大城と私は2人だけで島渡りをして、選手を迎えに行くことにした。

・計算速度4ノット以下

出発時間に「海想」チームと携帯で打ち合わせた。
概ね黒島の南方沖のブイで合流することを決めた。
南極大城が1ノット分を漕ぐ、私は3ノット分の風を掴む。
そうすると、2時間後には黒島に着く予定だ。
潮は上げが残っているものの、そう強くはないだろう。
「海想」は人数も豊富な強豪チーム。そう時間はかからないだろう。

・儀志布沖

風は完全に収まった。 恐ろしいほどのなぎ。
風力の途切れたニヌハ2は2人で漕ぎ進むことにした。
GPSは、2ノット以下のスピードを表示している。
完全に予測が外れた。2名で進むことは大変だ。
「黒島沖まで行けば、何とかなる!」
それを信じて漕ぎ続けるだけだった。

・黒島付近

にぎり飯を食おうと手を休めた。
ふとGPSを見ると1.6ノットを示している。
しかも、マイナス。
「北へ流されている!」「メシも食えないぞ!」
2人はまた漕ぎ始める。
漕ぎ始めても、GPSのスピードは2ノット以下。
ただし、前に進んでいるのが救いだ。
結局この場所を脱出するのに、1時間半を要した。

・前島

黒島はとうに通り過ぎた。ひたすら漕ぎ続けるが、「海想」の艇は見えない。何かトラブルでもあったのだろうか?
ついに前島付近まで漕ぎ進んだ2人だったが、もう戻る体力がない。 上陸してキャンプが可能な場所を探し始めた。
その時、「海想」と共に伊東画伯とリリーが現れた。
完全に疲労した南極大城と私だったが、キャンプのため儀志布島まで戻ることにした。 4人で漕げばなんとかなるさ。

・キャンプ

儀志布で、今夜の宿「ヘネシーハンモック」を用意する。
前島でピックアップした2名のクルーは、ニヌハ2の出来栄えを喜んでくれているように見えなかった。
誰もが、ニヌハ2に関わりの深人間なのだが、ニヌハの着座位置に付こうとしない。
「海想」を漕ぎ慣れてしまったのか、「海想」のように高い位置に着座しようとする。
だが、アウトリガーに浮力のないニヌハ2で高い位置に着座すると、船体がローリングし、漕力が推進力にならない。
この着座位置に関しては、2006年のレース前から忠さんと激論を交わし、忠さんの意見を理解したうえでこの形になった。実際、この年のレースでは、海が荒れるにしたがって有利なレース運びが可能になった。
その件で、新たな議論をする余地があるとは思えないし、そのつもりもない。
合流したクルーは、長い移動で疲れている為なのか、練習への興味よりも遊ぶ事への興味が集中しているようだ。
一刻も早く「漕ぎを合わせる」練習を開始しようと出迎えた南極大城と私だったが、すっかり意気消沈してしまった。
それでも、べたなぎの中を、たった2人でニヌハ2を漕ぎ進み、前島まで渡った事は事実だ。それは、大きな自信になった。

・夕陽

沖縄在住のクルーは、これまでの練習会で、ニヌハ2の着座位置で2時間を漕ぎ続ける事が可能になっている。
今日到着した2名の選手はは、まだ体の準備ができていない。
明日も東京の選手が座間味に到着する。
一向に消化できない練習スケジュールに、苛立ちと不安を感じていた。

夕陽が沈む、飛び切り美しい慶良間の海に。
だが、今はそれを楽しめる気分ではない。
疲れた身体は、泥のような眠りを要求してきた。





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